2025年11月1日土曜日

感情に働きかける教え方の重要性

 「より良い学習成果を得たいのであれば、感情に働きかける教え方ができる教師をもっと育てる必要がある」というチェイス・ミルキーは、教育現場で長年の経験をもつ教師であり、インストラクショナル・コーチ★です。全米で高く評価されている講演者でもあり、ASCD(米国教育指導者協会)から出版された3冊の本の著者でもあります。

 *****

長年教育に携わり、ポジティブ心理学を研究してきた者として、私は人間の行動に関する重要な理解にたどり着きました。それは、「感情は、論理(知的思考)よりもはるかに意思決定を左右する」です。これは特に、生徒たちに強く当てはまります。

教室で生徒が経験する感情は、学業成果に直接影響を与えます。たとえば、生徒が授業に出席するかどうか、時間通りに来るかどうか、教室に入るときの挨拶の仕方、導入活動への取り組み方、そして授業への参加意欲や助けを求める姿勢など、すべてに感情が関係しています。

つまり、より良い学業成果を求めるなら、より良い「感情的なインプット」が必要なのです。教師は、認知・知識・思考中心の教え方と同じくらい、研究に裏打ちされた「感情に働きかける教え方」を使いこなせる必要があります。

しかし残念ながら、現在の教員養成や研修のあり方は、学習の「感情面」に十分な備えを与えていないのが現状です。

 

従来の認知・知識・思考中心の教え方と、感情に満ちた教室とのギャップ

教師の養成や研修では、認知的な学習理論や分類法に、実に多くの時間とエネルギーが注がれています。私自身、教育実習や教員研修で、ブルームの思考の6段階(教育目標の分類)について何時間も学んだことを覚えています。授業の設計方法、評価問題の作り方、学習者をより高次の思考へと導くための目標の書き方などを学びました。こうしたスキルはもちろん重要でした。

けれども、教師になってから私が自分で考えなければならなかったのは、「どうすれば生徒が、私が丁寧に組み立てた授業に注意を向けてくれるのか」「どうすれば、精緻に設計した評価課題に本気で取り組んでくれるのか」といったことでした。

 教材の教え方はわかっていても、生徒の感情を読み取る方法がわからない——このギャップこそが、「感情に働きかける教え方」の出番です。

教師が感情面での専門性を高めるような研修を受けると、生徒の感情に「反応する」のではなく、「促す」ことができるようになります。たとえば、優れた教師が、生徒を「記憶」から「分析」へと導く問いや活動を知っているように、感情に働きかけることができる教師は、生徒を「無関心」から「好奇心」へ、「苛立ち」から「希望」へ、「圧倒された状態」から「落ち着き」へと導くための適切な働きかけができます。

では、どうすれば教師が「感情に働きかけられる存在」となり、「より効果的」な教育者になれるのでしょうか?
 その第一歩は、教室における感情の「なぜ」「何を」「どうやって」に焦点を当てた学びを構築することです。以下に挙げる三つの特性は、「感情に働きかける教え方」を実践する教師に共通して見られるものです。

 

感情に働きかける教師の三つの重要な特性

1. 感情の科学を理解している

感情に働きかける教師は、感情が「選ばれるもの」ではなく「構築されるもの」であることを理解しています。彼らは、感情が以下のような複雑な要素の相互作用によって生まれることを知っています。

  • 思考(認知):「これは自分にできそうか?」「自分の目標に関係しているか?」「過去に成功した経験があるか?」「次に何が起こるか気になるか?」
  • 身体の状態(生理):「今、自分の体に何が起きているか?」「心拍数は高いか低いか?」「空腹か、疲れているか?」
  • 環境(周囲の状況):「周囲の人を信頼できるか?」「この空間の刺激に圧倒されていないか?」

感情に働きかける教師は、生徒に「自分で感情をコントロールすること」を当然のように求めたり、うまくできないことを責めたりはしません。代わりに、音楽や照明、座席配置などを工夫して教室環境を調整したり、眠そうな高校生を活性化させるために「歩きながら復習する」などの活動を取り入れたりします。

彼らは常に問いかけます。「私の授業の選択は、生徒の感情状態にどんな影響を与えているだろうか?」

2. 感情に働きかける教師は、学びを支える感情の微妙な違いを理解している

感情に働きかける教師は、感情の扱い方において非常に繊細で的確です。たとえば、授業にちょっとした「驚きの要素」を加えることで、生徒の注意を一時的に引きつけることはできますが、「好奇心」を育てることで、より長く深く注意を持続させることができることを理解しています。

また、頭の中が情報でいっぱいになっている生徒には、「落ち着き」の感情を促すことで認知的な混乱を減らすことができます。一方で、「安心感」と組み合わせた適度な「プレシャー」は、学習者の成長を促す健全なストレスにつながることも知っています。

こうした教師は、「やる気がある/ない」「ポジティブ/ネガティブ」といった単純な感情の二項対立を超えて考えます。
 彼らが問いかけるのは、「この学習段階では、どの感情が最も効果的な成果につながるだろうか?」という、より精緻で実践的な問いなのです。

 

3. 感情に働きかける教師は、受け身ではなく、戦略的に先手を打つ

生徒にとって望ましい感情の状態を促すために、感情に働きかける教師は、幅広いスキルを「先回りして」活用します。
 彼らは、生徒が苛立ちから諦めてしまうのを待つのではなく、あらかじめ「感情に働きかける仕掛け(emotional influencers)」を計画します。

たとえば、過去の学習内容を使った復習ゲームを工夫して、生徒に自信をもたせたり、個別に声をかけて「誇り」や「所属感」を育んだりします。
 また、昼食後に興奮気味で教室に戻ってくる生徒の様子を予測し、その「楽しさ」を活かしてエネルギーの高い活動を行うか、あるいは落ち着いた雰囲気をつくってから集中力の必要な課題に入るかを、事前に判断・準備します。

彼らは、授業に「感情の設計」を組み込むことを、教育目標の分類(ブルームの思考の6段階)を活用するのと同じくらい慎重かつ意図的に行っているのです。

そして彼らは常に「生徒に望ましい感情を育むために、どんな方法が効果的だろうか?」と問いかけます。

 

効果的で、感情にも働きかける教育へ

私たちはこれまで、「体系的な枠組み」や「教育目標の分類(思考の6段階)」を使って学びを深める方法★★を教師に教えてきました。これからは、学びを支える「感情」——たとえば、落ち着き、希望、好奇心、喜び——を育む力についても、教師が学べるようにしなければなりません。

生徒の学びは、教師が「感情に満ちた教室という現実」を理解し、それを出発点として関わるときに、より深まります。もし私たちが「より効果的な教師」を育てたいのなら、まずは「感情に働きかける教え方のできる教師」を育てることから始めましょう。

 *****

 以上はチェイス・ミルキーの論文の紹介でしたが、この内容とかなりオーバーラップする本があります。それは、ウェンディ・オストロフの『「おさるのジョージ」を教室で実現 ~ 好奇心を呼び起こせ!』(新評論)です。オストロフは、SEL(社会的・情動的学習)という言葉を前面には出していませんが、感情と学習の関係性に深く踏み込んでおり、特に「好奇心」の扱いは、感情に働きかける教育と強く重なります。

主なオーバーラップのポイントは、次の4点です。

1. 好奇心は感情的なエンジンである

  • オストロフ は好奇心を「学習の原動力」として位置づけ、内発的動機づけや感情的な関与の重要性を強調しています。
  • これは、感情に働きかける教師が「無関心から好奇心へ」と生徒を導く方法と一致します。

2. 安全で自由な環境が好奇心を育てる

  • 教室の心理的安全性、自由な探究、関係性の質が好奇心の土壌になると述べられており、これはSELの「安全な学習環境」や「関係性スキル」と重なります。

3. 驚き・問い・選択肢の設計

  • オストロフ は、驚き(surprisenovelty)や問いかけ、選択肢の提示によって好奇心を刺激する方法を紹介しています。これは、感情的な状態を意図的に設計する「感情に働きかける仕掛け(emotional influencers)」の考え方と非常に近いです。

4. 教師の役割は促進者

  • 教師は知識の伝達者ではなく、好奇心を育む「ファシリテーター」であるべきだという主張は、感情に働きかける教育の「反応ではなく促う」という姿勢と一致します。

以上のように、オストロフのアプローチは、好奇心・関心・探究心といった感情的要素を中心に据えた学習設計であり、SELの「自己認識」「自己管理」「関係性スキル」などの領域と自然に関連しています。つまり、SELという言葉は使わずにSEL的実践を展開しているとも言えるのです。

 ということで、上で書いたような教師の力量の必要性を感じたなら、https://selnewsletter.blogspot.com/2023/06/sel.htmlで紹介されている本や、https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E3%81%8A%E3%81%95%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8 を参考にしてください。


出典: https://ascd.org/el/articles/the-case-for-a-pedagogy-of-emotions

★インストラクショナル・コーチがどういうことをする人なのかは、近刊の『インストラクショナル・コーチング』(ジム・ナイト著、図書文化)をご覧ください。2000年ぐらいからアメリカを中心に教え方の改革の中心を担っています。逆に言うと、従来の「教員研修」では変えられない、ということが分かったことが理由です。なぜ、変わらないと思いますか?

★★日本では、教科書をカバーするための指導案アプローチ?