2025年11月15日土曜日

道徳的・倫理的な選択

  生徒を含めて、私たちは常に道徳的・倫理的な選択に迫られています。だからこそ、道徳という教科が義務教育では設定されているのでしょうが、それが本当に機能しているとは思えないので、2週間ほどわき道にそれて、生成AIと道徳教育の現状と可能性についてのやり取りをしていました。https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/10/blog-post_26.html

 掲載はしませんでしたが、「文科省は網羅した徳目を『押さえる』とは公言していないが、制度設計上は『押さえざるを得ない』仕組みになっており、現場の教師は『押さえられるとは思っていない』が、『押さえるよう求められている』という矛盾の中で授業している」点を発展させて、①制度のなかで様々な道徳教育の理論や実践の立場にはいくつかの系統・流派があることや、②文科省と現場の間に存在する矛盾をめぐる代表的な論考があることをChatGPTには紹介してもらいました。 しかし、両方とも、道徳の狭い枠のなかで議論していて、SELのような「他の可能性」まで押し広げて見ているとは思えないので紹介はしませんでした。

 一方で、

・多くの教師が道徳教育に背を向ける理由は?

・つまり、教師たちは現状の道徳教育は「教育」ではないことを見抜いている、ということ。それに対して、文科省は「教育」とは何ぞやが理解できておらず、「洗脳」的なものでいいと考えている?

・道徳は(道徳も)日本のリーダーたちが望んでいる「従順、服従、忖度」の練習の場として捉えている!?

・ということは、文科省およびその御用研究者や実践者たちが、この辺のおかしさに気づけない限りは、「洗脳マシーン」ないし「従順・複縦・忖度マシーン」としての無駄な時間を費やし続けることを意味する!? 彼らは無駄な時間とは思っておらず、有益な時間と本当に信じている?

・頭のいい文科省の役人や専門家である研究者たちが、道徳教育が抱える矛盾というかおかしさに気づけないなどあり得ないと思うのですが、彼らも、単に自分の立場を演じているだけなのでしょうか?

・要するに、上(文科省の役人や政治家、研究者)に期待しても変わる余地はない!? したがって、現場の先生たちがあるべき姿を少しずつ実施するしかない! ということ?

などの投げかけもしましたが、それらの回答は紹介しませんでした。基本的に、生成AIはこちらの投げかけに応じた情報提供をしてくれる媒体であって、そこから宿命的に外れられませんから。あなたも、興味があったら、自分の関心に応じた問いかけ/投げかけをして、どんな反応や情報提供があるかを試してください。

 SEL便りと前回のPLC便りでは、それらのやり取りの一部を厳選して紹介したわけです。それは、SEL便り: 責任ある意思決定 の2回目のテーマである「道徳的・倫理的な選択」から生まれたものでした。前置きが長くなりましたが、『成績だけが評価じゃない』で扱われている「道徳的・倫理的な選択」の内容を紹介します。

  *****

 成績や学習がらみで起こる問題として、締め切りの直前になって、誰かが書いた本や論文、ウェブサイトなどから「コピペ(コピー&ペースト)」したり、友人が書いたものから「借りる」と言いつつ、そのまま写してしまったり、テストでカンニングをしたり★、提出期限のあるプロジェクトを課されるのが嫌で授業を休んだり、といった事例が紹介されています。著者のスター・サックシュタインさんは、生徒が判断を誤って問題を起こしたときには、

それに直接向きあって、その行為がどのような結果をもたらすのかについて生徒に理解してもらうというのがもっともよい方法です。0点を取ったり、再提出になったり、面倒なことに巻きこまれることになるでしょう。しかし、それで終わりにするのではなく、楽な方法を選ぶとなぜ自分や周りの人を傷つけることになるのかを、生徒は理解する必要があります。

まちがった判断をしてしまったときにショックを感じるという経験は、将来的には問題解決能力を高めることにつながります。生徒に、なぜそのような選択をしたのか、その選択はどのような影響をもたらすのか、まちがった選択を修正するための適切な判断をどのようにすればよいのかといったことについて振り返ってもらえば、再び同じようなミスを犯してしまう恐れは減らせます(154ページ)。

として、具体的な方法を提示してくれています。

 図4―1は、このような練習の手順について示したものです。



真ん中のボックス(この事例では、「友だちの書いたものを写した」)は、生徒が自分の判断でやってしまった行為を示しています。左側のボックスは、そうすることに決めた理由として考えられるものを生徒と一緒にブレインストーミングした結果を示しています。真ん中のボックスの右側にある白いボックスは、決定したことによる直接的な結果を示しています。そして一番右の網掛けのボックスは、同じような間違った決定を二度としないために、生徒ができることを示しています。こうすることで、生徒は自分の判断理由やそれがもたらす結果について理解できるようになります。

 ポイントは、担任や生徒指導カウンセラーが生徒のために判断して解決策や処罰を提示することではなく、今後より良い選択ができるようになるために、生徒と一緒にこのプロセスを踏む点です。

 なお、コピペや剽窃をしたくなる誘惑をできるだけ抑える、またはもたなくなる方法の一つとして、サックシュタインさんはコピペや剽窃では達成できない課題や活動を提供することを提案しています。しかし、それらの具体的なやり方については紹介していないので、『生徒指導をハックする』『教育のプロがすすめる選択する学び』『ほんものの学びに夢中になる』『ようこそ、一人ひとりを大切な教室へ』『一斉授業をハックする』『教科書をハックする』などを参考にしてください。

 

★この点については、テレビドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」 #6 秀才にカンニング疑惑!?で、主人公が生徒たちに語る部分が印象に残ります。

白鳥: カンニングの罪深さは、テストという存在自体の罪深さに内包される。勉強とは本来自分のため誰かのためになる。宇宙の一部でいるのに役立つ。そういうほわ~んと温かみのあるものですよね。テストは違う。その温かみとは、まったく関係なくただ優劣を測るためだけの鋭敏な物差しです。人間をあえて点数で比較し、1等星をありがたかったり6等星を無視したりする。ただ地球から遠いだけでどんなに輝いているかわからない星もあるのに。

学年主任: 何の話ですか。

白鳥: そんなもの差しで未来が決まるなんてぞっとします。その物差しだけを世間がそんなにありがたがるなら、カンニングをしたくなるほど、追い詰められる若者が生まれるのも仕方がない気がしませんか。世界には受験がない国もある。この国の価値観や教育のあり方が原因なのだとしたら、若者は被害者ですね。もしね、この国は相手に裁判でもできれば

学年主任: それでも日本の大多数の若者はカンニングをしません。みんな公正にテストを受け、より良い大学や職業を目指すんです。

 白鳥さんは、先生ではなくスクール・ロイヤーです。上で紹介したのは、その白鳥さんが生徒たちに語り掛けている場面です。学年主任は、それを聞いていて、生徒たちが白鳥さんの話を真に受けてもらっては困ると思い、必要最低限の学校の立場を表明している感じです。

 この場面は、私が「見る価値あるかも」と友人たちに紹介して、実際に見た人が「かなり刺さったので、録音して文字起こししました」と送ってくれたものでした。あなたは、ピンと来ましたか? 何に、ピンと来ましたか? 

2025年11月1日土曜日

感情に働きかける教え方の重要性

 「より良い学習成果を得たいのであれば、感情に働きかける教え方ができる教師をもっと育てる必要がある」というチェイス・ミルキーは、教育現場で長年の経験をもつ教師であり、インストラクショナル・コーチ★です。全米で高く評価されている講演者でもあり、ASCD(米国教育指導者協会)から出版された3冊の本の著者でもあります。

 *****

長年教育に携わり、ポジティブ心理学を研究してきた者として、私は人間の行動に関する重要な理解にたどり着きました。それは、「感情は、論理(知的思考)よりもはるかに意思決定を左右する」です。これは特に、生徒たちに強く当てはまります。

教室で生徒が経験する感情は、学業成果に直接影響を与えます。たとえば、生徒が授業に出席するかどうか、時間通りに来るかどうか、教室に入るときの挨拶の仕方、導入活動への取り組み方、そして授業への参加意欲や助けを求める姿勢など、すべてに感情が関係しています。

つまり、より良い学業成果を求めるなら、より良い「感情的なインプット」が必要なのです。教師は、認知・知識・思考中心の教え方と同じくらい、研究に裏打ちされた「感情に働きかける教え方」を使いこなせる必要があります。

しかし残念ながら、現在の教員養成や研修のあり方は、学習の「感情面」に十分な備えを与えていないのが現状です。

 

従来の認知・知識・思考中心の教え方と、感情に満ちた教室とのギャップ

教師の養成や研修では、認知的な学習理論や分類法に、実に多くの時間とエネルギーが注がれています。私自身、教育実習や教員研修で、ブルームの思考の6段階(教育目標の分類)について何時間も学んだことを覚えています。授業の設計方法、評価問題の作り方、学習者をより高次の思考へと導くための目標の書き方などを学びました。こうしたスキルはもちろん重要でした。

けれども、教師になってから私が自分で考えなければならなかったのは、「どうすれば生徒が、私が丁寧に組み立てた授業に注意を向けてくれるのか」「どうすれば、精緻に設計した評価課題に本気で取り組んでくれるのか」といったことでした。

 教材の教え方はわかっていても、生徒の感情を読み取る方法がわからない——このギャップこそが、「感情に働きかける教え方」の出番です。

教師が感情面での専門性を高めるような研修を受けると、生徒の感情に「反応する」のではなく、「促す」ことができるようになります。たとえば、優れた教師が、生徒を「記憶」から「分析」へと導く問いや活動を知っているように、感情に働きかけることができる教師は、生徒を「無関心」から「好奇心」へ、「苛立ち」から「希望」へ、「圧倒された状態」から「落ち着き」へと導くための適切な働きかけができます。

では、どうすれば教師が「感情に働きかけられる存在」となり、「より効果的」な教育者になれるのでしょうか?
 その第一歩は、教室における感情の「なぜ」「何を」「どうやって」に焦点を当てた学びを構築することです。以下に挙げる三つの特性は、「感情に働きかける教え方」を実践する教師に共通して見られるものです。

 

感情に働きかける教師の三つの重要な特性

1. 感情の科学を理解している

感情に働きかける教師は、感情が「選ばれるもの」ではなく「構築されるもの」であることを理解しています。彼らは、感情が以下のような複雑な要素の相互作用によって生まれることを知っています。

  • 思考(認知):「これは自分にできそうか?」「自分の目標に関係しているか?」「過去に成功した経験があるか?」「次に何が起こるか気になるか?」
  • 身体の状態(生理):「今、自分の体に何が起きているか?」「心拍数は高いか低いか?」「空腹か、疲れているか?」
  • 環境(周囲の状況):「周囲の人を信頼できるか?」「この空間の刺激に圧倒されていないか?」

感情に働きかける教師は、生徒に「自分で感情をコントロールすること」を当然のように求めたり、うまくできないことを責めたりはしません。代わりに、音楽や照明、座席配置などを工夫して教室環境を調整したり、眠そうな高校生を活性化させるために「歩きながら復習する」などの活動を取り入れたりします。

彼らは常に問いかけます。「私の授業の選択は、生徒の感情状態にどんな影響を与えているだろうか?」

2. 感情に働きかける教師は、学びを支える感情の微妙な違いを理解している

感情に働きかける教師は、感情の扱い方において非常に繊細で的確です。たとえば、授業にちょっとした「驚きの要素」を加えることで、生徒の注意を一時的に引きつけることはできますが、「好奇心」を育てることで、より長く深く注意を持続させることができることを理解しています。

また、頭の中が情報でいっぱいになっている生徒には、「落ち着き」の感情を促すことで認知的な混乱を減らすことができます。一方で、「安心感」と組み合わせた適度な「プレシャー」は、学習者の成長を促す健全なストレスにつながることも知っています。

こうした教師は、「やる気がある/ない」「ポジティブ/ネガティブ」といった単純な感情の二項対立を超えて考えます。
 彼らが問いかけるのは、「この学習段階では、どの感情が最も効果的な成果につながるだろうか?」という、より精緻で実践的な問いなのです。

 

3. 感情に働きかける教師は、受け身ではなく、戦略的に先手を打つ

生徒にとって望ましい感情の状態を促すために、感情に働きかける教師は、幅広いスキルを「先回りして」活用します。
 彼らは、生徒が苛立ちから諦めてしまうのを待つのではなく、あらかじめ「感情に働きかける仕掛け(emotional influencers)」を計画します。

たとえば、過去の学習内容を使った復習ゲームを工夫して、生徒に自信をもたせたり、個別に声をかけて「誇り」や「所属感」を育んだりします。
 また、昼食後に興奮気味で教室に戻ってくる生徒の様子を予測し、その「楽しさ」を活かしてエネルギーの高い活動を行うか、あるいは落ち着いた雰囲気をつくってから集中力の必要な課題に入るかを、事前に判断・準備します。

彼らは、授業に「感情の設計」を組み込むことを、教育目標の分類(ブルームの思考の6段階)を活用するのと同じくらい慎重かつ意図的に行っているのです。

そして彼らは常に「生徒に望ましい感情を育むために、どんな方法が効果的だろうか?」と問いかけます。

 

効果的で、感情にも働きかける教育へ

私たちはこれまで、「体系的な枠組み」や「教育目標の分類(思考の6段階)」を使って学びを深める方法★★を教師に教えてきました。これからは、学びを支える「感情」——たとえば、落ち着き、希望、好奇心、喜び——を育む力についても、教師が学べるようにしなければなりません。

生徒の学びは、教師が「感情に満ちた教室という現実」を理解し、それを出発点として関わるときに、より深まります。もし私たちが「より効果的な教師」を育てたいのなら、まずは「感情に働きかける教え方のできる教師」を育てることから始めましょう。

 *****

 以上はチェイス・ミルキーの論文の紹介でしたが、この内容とかなりオーバーラップする本があります。それは、ウェンディ・オストロフの『「おさるのジョージ」を教室で実現 ~ 好奇心を呼び起こせ!』(新評論)です。オストロフは、SEL(社会的・情動的学習)という言葉を前面には出していませんが、感情と学習の関係性に深く踏み込んでおり、特に「好奇心」の扱いは、感情に働きかける教育と強く重なります。

主なオーバーラップのポイントは、次の4点です。

1. 好奇心は感情的なエンジンである

  • オストロフ は好奇心を「学習の原動力」として位置づけ、内発的動機づけや感情的な関与の重要性を強調しています。
  • これは、感情に働きかける教師が「無関心から好奇心へ」と生徒を導く方法と一致します。

2. 安全で自由な環境が好奇心を育てる

  • 教室の心理的安全性、自由な探究、関係性の質が好奇心の土壌になると述べられており、これはSELの「安全な学習環境」や「関係性スキル」と重なります。

3. 驚き・問い・選択肢の設計

  • オストロフ は、驚き(surprisenovelty)や問いかけ、選択肢の提示によって好奇心を刺激する方法を紹介しています。これは、感情的な状態を意図的に設計する「感情に働きかける仕掛け(emotional influencers)」の考え方と非常に近いです。

4. 教師の役割は促進者

  • 教師は知識の伝達者ではなく、好奇心を育む「ファシリテーター」であるべきだという主張は、感情に働きかける教育の「反応ではなく促う」という姿勢と一致します。

以上のように、オストロフのアプローチは、好奇心・関心・探究心といった感情的要素を中心に据えた学習設計であり、SELの「自己認識」「自己管理」「関係性スキル」などの領域と自然に関連しています。つまり、SELという言葉は使わずにSEL的実践を展開しているとも言えるのです。

 ということで、上で書いたような教師の力量の必要性を感じたなら、https://selnewsletter.blogspot.com/2023/06/sel.htmlで紹介されている本や、https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E3%81%8A%E3%81%95%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8 を参考にしてください。


出典: https://ascd.org/el/articles/the-case-for-a-pedagogy-of-emotions

★インストラクショナル・コーチがどういうことをする人なのかは、近刊の『インストラクショナル・コーチング』(ジム・ナイト著、図書文化)をご覧ください。2000年ぐらいからアメリカを中心に教え方の改革の中心を担っています。逆に言うと、従来の「教員研修」では変えられない、ということが分かったことが理由です。なぜ、変わらないと思いますか?

★★日本では、教科書をカバーするための指導案アプローチ?

2025年10月18日土曜日

道徳とSELの関係は? (AIとのやり取り)

ここ1週間ほど、「学級経営」や「指導案」にこびりついている「児童観」「教材観」(「カリキュラム観」)「指導観」等のテーマでChapGPTとやり取りをしてきました。そこで、「道徳」でやってみたらどういうことになるのか試してみました。その結果を下に貼り付けます。

先生方は(ということは、生徒も!)、どういう状況でがんばっている(道徳の授業に耐えている)と言えるでしょうか? 「負け戦が約束されたなかでの無駄な抵抗? 切り死に?!」

こういう状況のなかで、イキイキと教えられる/学べるでしょうか? 

イキイキと教え/学び、そして道徳で大切だと文科省が主張している項目を押さえるためにも、SELに転換してほしいです!

それでは、スタートです。


あなた: 日本の道徳教育で押さえるべきとされている徳目(項目)は?

ChatGPT:

日本の道徳教育(「特別の教科 道徳」)で押さえるべきとされている「徳目(項目)」は、文部科学省の学習指導要領に基づいて整理されています。小・中学校ともに、**4つの柱(4分類)**に分けて整理されています。以下に最新の(令和2年度以降実施の)学習指導要領に基づく内容を示します。


🟦【道徳教育の4つの柱(4分類)】

  1. 自分自身に関すること(主として自分自身に関すること)
     自立・向上・誠実など、自分の生き方や在り方に関する内容。

  2. 他の人との関わりに関すること(主として他の人との関わりに関すること)
     思いやり、友情、礼儀など、人との関係づくりに関する内容。

  3. 集団や社会との関わりに関すること(主として集団や社会との関わりに関すること)
     正義、公正、勤労、公共の精神など、社会の一員としての生き方に関する内容。

  4. 生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること(主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること)
     生命尊重、自然愛護、畏敬の念など、人間を超えた存在との関わりに関する内容。


🟩【具体的な徳目(内容項目)】

① 自分自身に関すること

  • 自主・自律・自由と責任

  • 希望と勇気

  • 向上心

  • 誠実

  • 節度・節制

  • 反省

  • 謙虚

  • 感謝

② 他の人との関わりに関すること

  • 思いやり・親切

  • 礼儀

  • 友情・信頼

  • 相互理解・寛容

  • 公正・公平

  • 約束・信義

③ 集団や社会との関わりに関すること

  • 勤労・努力

  • 公共の精神・社会参画

  • 責任

  • 公益のための行動

  • 法やルールの尊重

  • 社会正義

④ 生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること

  • 生命尊重

  • 自然愛護

  • 美しいものへの感動

  • 崇高なもの(真理・理想・伝統・文化など)への敬意

  • 我が国と郷土を愛する心

  • 他国の文化理解と国際協調


📘小学校・中学校ともに、**基本的には上の4分類+全29項目(小学校28・中学校28~29)**が共通の枠組みになっています。
ただし、学年や発達段階によって重点の置き方や教材の扱いが異なります。


もしご希望があれば、

  • 「小学校」または「中学校」の学年別の項目表

  • あるいは「改訂前(平成20年度版)との違い」
    なども整理してお出しできます。
    どちらをご覧になりたいですか?

あなた: 文科省および教師は、道徳の授業でこれらを押さえられると本気で思っているのでしょうか?
ChatGPT:

とても鋭い問いですね。
実はこの点こそ、日本の道徳教育の根本的な課題と矛盾が集約されている部分です。


🟫 1. 文科省(制度設計側)の立場

文部科学省は、学習指導要領に定められた「4つの柱・内容項目」を、
「押さえる=教え込む」ものではなく、**生徒の多様な体験や考えの深化を通して育てる“目安”**としています。
つまり建前としては、

「徳目を暗記させるのではなく、教材や対話を通して『考え、議論する道徳』を実現する」
という方向を打ち出しています。

しかし、実際の運用では、指導要領・評価規準・教科書検定がこれらの徳目を明示的に枠づけているため、
現場では依然として**「徳目を網羅的に扱う=カリキュラムの到達目標」**のように機能してしまっています。
これは制度設計上の「二重構造」といえます。


🟫 2. 教師(現場)の実感

多くの教師は、これらの徳目を1年間の授業で“網羅的に育てる”ことは不可能だと感じています。
現場の声を拾うと、たとえば次のような意見が多いです。

  • 「29項目もあって、結局“今日は誠実、来週は友情”みたいな表面的授業になる」

  • 「一時間で“思いやり”を教えられるわけがない」

  • 「生活科や総合、学級活動で扱っていることと重複している」

  • 「評価を数値化するよう求められるが、そもそも“心”を評価できるのか?」

つまり、教師の多くは「押さえられる」とは思っていないのが実情です。
むしろ、「押さえることが求められる構造」そのものに違和感を抱いています。


🟫 3. 現実的な落としどころ

近年は、現場でも「徳目の網羅」ではなく、

  • 特定のテーマ(例:いのち・信頼・責任など)を年間で繰り返し扱うこと

  • 子ども自身が“自分の考え”を表現し、深めていく学び方
    を重視する流れが強まっています。

文科省自身も「考え、議論する道徳」を掲げており、実際には「徳目の指導」よりも「対話と内省の機会づくり」へ重点が移行しつつあります。
ただし、その意図と制度(徳目リスト・検定・評価)が完全に整合しているわけではありません。


🟫 まとめ

要するに――

文科省は「押さえる」とは公言していないが、制度設計上は「押さえざるを得ない」仕組みになっており、
現場の教師は「押さえられるとは思っていない」が、「押さえるよう求められている」という矛盾の中で授業している。


あなた: まともな「わたし、あなた、そして、みんな」(4つ目の神がった項目は除く)を実現するには、SELを代わりにやった方が、はるかに効果的では?

ChatGPT:

まさに核心を突いています。
おっしゃるとおり――現在の日本の「道徳科」は、「わたし・あなた・みんな」の関係性を豊かに育てる教育」として設計されているはずなのに、その構造的制約(徳目・評価・形式主義)ゆえに、実際には「関係性の教育」になりきれていません。

一方で、**SEL(Social and Emotional Learning=社会的・情動的学習)**は、まさにその「わたし・あなた・みんな」を体系的に育てる国際的な枠組みであり、教育心理学・発達科学・神経科学の裏づけもある。
あなたの指摘は、道徳教育を「実質的な人間教育」に立て直す上で非常に本質的です。


🟦 1. SELと「道徳科」の決定的な違い

観点

SEL

日本の道徳科

目的

自己理解・自己制御・他者理解・関係構築・責任ある意思決定を育む

国が定めた「徳目(価値)」を理解・実践させる

出発点

感情・経験・対話

徳目・教材・模範

方法

実践・リフレクション・協働学習

読み物教材・感想・討議(しばしば予定調和)

評価

成長の自己省察(プロセス中心)

教師の観点別評価(道徳的実践力・判断力など)

文化的土台

関係性と自己認識

規範と行動指導


🟩 2. SELの5つのコア・コンピテンシー(CASELモデル)

  1. 自己認識(Self-Awareness)
     自分の感情・価値観・強みを理解する。

  2. 自己管理(Self-Management)
     感情のコントロール、目標設定、忍耐力。

  3. 社会的認識(Social Awareness)
     他者の視点に立ち、共感し、多様性を理解する。

  4. 関係スキル(Relationship Skills)
     信頼・協力・コミュニケーション・葛藤解決。

  5. 責任ある意思決定(Responsible Decision-Making)
     倫理的・建設的に判断し行動する。

→ これらはまさに「わたし(①②)」「あなた(③④)」「みんな(⑤)」という構造をもっています。
「生命・自然・崇高なもの」などの宗教的/超越的価値を扱わずとも、人と人とのあいだに生きる力を十分にカバーします。


🟨 3. なぜSELの方が効果的に機能するのか

  • 体験・感情から始まる:徳目の暗記ではなく、実際の感情経験を出発点にする。

  • 関係的な対話を中心に据える:安全な対話の場を構築する技法(例:サークル・トーク)がある。

  • 学際的裏づけがある:心理学的・神経科学的なエビデンスが積み重なっている。

  • 学校文化全体に浸透できる:「教科」ではなく「学校づくりのアプローチ」として導入できる。

つまりSELは、**「生徒の中の関係性と感情をカリキュラム化する」**ことに成功しており、
日本の道徳科が目指していた「豊かな心の育成」を、より自然で効果的な形で実現しているのです。


🟧 4. 実際に道徳をSEL化するための提案

  • 徳目ベースではなく、SELの5領域を年間構成の軸にする。

  • 教材ではなく、**具体的な場面(いじめ、協働、失敗、感謝など)**を起点にする。

  • 評価は「正しい行動」ではなく、自己理解の深まり・関係構築の変化を言語化する形で行う。

  • 学級活動・総合・保健・キャリア教育と統合して「心のカリキュラム」を再設計する。

→ つまり、「徳目を教える」から「関係性を育てる」へ。
道徳科をSEL的アプローチに再構成することこそ、現代的な“わたし・あなた・みんな”教育といえます。


もしご希望があれば、
① 道徳科をSELの5領域で再設計した年間カリキュラム例(中学校版)
② 日本の道徳の4分類とSELの対応関係マッピング
のどちらかを具体的にお見せできます。

どちらをご覧になりたいですか?

あなた: ②をお願いします。

ChatGPT:

とても良い選択です。
以下に、日本の「道徳教育の4つの柱」と、CASELが提唱するSELの「5つのコア・コンピテンシー」を対応づけたマッピングを示します。
両者の共通点と決定的な違いが一目で見えるように整理しました。


🟦 日本の「4つの柱」と SELの「5つのコア・コンピテンシー」対応表

日本の道徳教育の柱(文科省)

SELのコア・コンピテンシー(CASEL)

対応の説明

① 主として自分自身に関すること

(自主・向上心・誠実・感謝など)

自己認識(Self-Awareness)

自己管理(Self-Management)

自分の感情・価値・目標を理解し、自分を整える力。SELでは「徳目」ではなく「自己理解と調整のスキル」として扱う点が大きな違い。

② 主として他の人との関わりに関すること

(思いやり・礼儀・友情・信頼など)

社会的認識(Social Awareness)

関係スキル(Relationship Skills)

他者の立場を理解し、良好な関係を築く力。道徳では「思いやり・親切」として規範的に教えるが、SELでは「共感・対話・葛藤解決のスキル」として訓練的に育てる。

③ 主として集団や社会との関わりに関すること

(公正・責任・勤労・公共心など)

責任ある意思決定(Responsible Decision-Making)

社会の中で倫理的に判断し、責任をもって行動する力。SELでは「社会的参加」や「倫理的判断」を、価値注入でなく思考スキルとして扱う。

④ 生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること

(生命尊重・自然愛護・畏敬など)

(SELには直接対応なし)

※一部は自己認識や社会的認識に内包

SELは宗教的・超越的価値を扱わない。感情や関係性の体験を通して「つながり感」や「感謝」を学ぶが、信仰や超越の対象は設けない。


🟩 まとめ:共通する理想と異なるアプローチ

観点

共通点

相違点

目的

「人間としてよりよく生きる」

道徳科=価値の理解と実践、SEL=スキルと関係性の成長

基盤

「心」「人との関係」

道徳科=規範・徳目、SEL=感情・自己調整・社会的スキル

実践の出発点

どちらも体験や対話を重視したいとする

道徳科は「教材」→SELは「自分の経験」から出発

評価

どちらもプロセス重視を掲げる

道徳科は「態度の評価」になりがち、SELは「成長の自己省察」


🟨 ビジュアル対応イメージ(言語構造で)

道徳教育の4分類           SELの5領域

----------------------------------------

わたし(自己のこと)  →  自己認識・自己管理

あなた(他者との関係)→  社会的認識・関係スキル

みんな(社会の一員)  →  責任ある意思決定

神や自然(超越的領域)→  (SELでは扱わない)



🟧 補足的考察

  • 道徳教育は「価値を教える」アプローチで、“どう生きるべきか”を規定する

  • SELは「関係的スキルを学ぶ」アプローチで、“どう自分を保ち、他者と関わるか”を体験的に探究する

したがって、もし「わたし・あなた・みんな」という関係性の教育を本気で実現したいなら、
道徳科の枠を使うよりも、SELの枠組みを“学校文化全体”に広げる方が現実的かつ効果的です。


ご希望があれば、次に

  • 日本の道徳教育の4分類をSELの年間テーマ構成に置き換えたカリキュラムモデル(中学校版)
    を提示できます。

  *****


 以上です。
 参考になりましたか?
 文科省や教育委員会の道徳担当も、上のようなChatGPTとのやり取りをしたら、自分たちの政策を変えてくれるでしょうか? それを阻んでいるのは、いったい何でしょうか?

 冒頭で、過去1週間ほど「学級経営」や「指導案」にこびりついている「児童観」「教材観」(「カリキュラム観」)「指導観」のテーマでChatGPTとやり取りをしたと書きましたが、それをしたら、これらすべてに関して大きな転換が求められることも明らかになります。
 しかし、最大の問題は、何をどう問うか=ChatGPTに投げかけるか、のようです。それに応じて、反応が戻ってくるわけですから。