2025年12月20日土曜日

協働することの意義

 SEL便り: 責任る意思決定 の4回目は、協同・協働的に学びがいかに意思決定に大切な役割を果たすかについて書いてあるところの紹介です(『成績だけが評価じゃない』の第4章)。

 著者のスター・サックシュタインさんは、次のように書いています。

 生徒がアイディアを共有し、ともに理解を深めるような協働的な環境においては、一人ひとりの生徒が学びに対してもっているネガティブな意思決定は最小限に抑えられます。生徒は、問題解決に取り組んだり、特定の目標を達成する基準を使ってフィードバックを提供しあうときであれ、お互いに大きな助けとなる力をもっています。また、生徒同士の関係が親密になれば、グループにおいて責任ある決定が下せるように生徒がもつ力を最大限に引き出します。(中略)生徒同士の関係が深く結びつけば、試験対策だけでなく、グループ課題やプロジェクトに取り組むときに最適な人を自分で選べるようになります。そして、その選択が自分の学びにとって効果的であったのか、今後改善を必要とするのかなど、自らの選択を振り返ることもできます。

 

 この引用だけでは、何か協働で取り組ませることの価値はありそうだ、とは思わされても、具体的にどういうメリットがあり、またどういう方法があるのかまでは見えてこないので、https://gemini.google.com/share/b2267d79b2b2 をお読みください。「協同・協働的に学習することの教科面以外のメリットにはどんなことがある?」と「いまとなっては45年ぐらい前ですが、個人学習、協同学習、競争学習の3つを比較した表を見たことがあります。そんなもの出せますか?」の2つの問いに、Geminiがわかりやすく情報提供してくれています(記憶に残っている比較の表は、縦の項目がもっとたくさんありましたから、同じものではありません! しかし、これで3つの学習法の違いは明確にしてくれているので、これ以上の深追いはしないことにしました)。

 多くの教師は、「時間が取れない」や「機能するチームづくりが面倒だ」などの理由でいまだにグループ活動(協同・協働学習)を敬遠しているようですが(結果的に、上記のURLの表にある「個人学習」と「競争学習」がほとんどになってしまい)★、「協同/協働学習」でしか得られないたくさんの大切な資質(態度)やスキル(能力)を生徒たちに練習してもらう機会を提供できない状況が続いています。それらの多くは、実態としては圧倒的を占めている「個人学習」と「競争学習」では得られないものです。そして、それらの資質やスキル(4つの項目で整理されている「教科面以外の主なメリット」)は、意思決定を行う際にも大きく貢献するものばかりです。逆に言えば、それらが身についていないと、有効な意思決定ができないことにつながってしまいます。

 

●具体的に、どのような協同・協働学習をすればいいのか

 では、具体的にどのような協同・協働学習をすればいいのか、ということについては、日本協同教育学会https://jasce.jp/)や「協同学習関連のおすすめの本は?」で検索したり、生成AIに尋ねるとたくさんの情報が得られるので、それでは得られにくい情報をここでは提供します。

『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』では、たくさんの協同・協働学習の方法が紹介されています。

・たとえば、そのなかで一番ページが割かれている「学習コーナー」「学習センター」は、『一斉授業をハックする』一冊で詳しくやり方が紹介されています。

・また、Choice Board(選択ボード)は、わずか一段落でしか紹介されていないのが、『ほんものの学びに夢中になる』では具体的なボードの例も踏まえながら、4ページで紹介されています(私自身も、後者を訳していて、ようやくその活動の意味というか意図が理解できました)。

・同じく、わずか一段落でしか紹介されていないブッククラブは、『読書がさらに楽しくなるブッククラブ』という一冊の本になっています。

・『ようこそ、一人ひとりをいかす教室』では8ページで紹介されている「契約」は、『「考える力」はこうしてつける』で1章が割かれて紹介されています。

 これらの本では、他にもたくさんの魅力的な方法が紹介されており、それらをすべての教科でいい機会を見計らって実施することで、イベントとしての協同・協働学習やSELの実践から抜け出して、教科指導とSELおよび協同・協働学習を統合した形の実践が可能になることでしょう。(それは、https://selnewsletter.blogspot.com/2025/10/selai.html にあるように、徳目を一つずつバラバラに扱う道徳教育からの脱却と、資質やスキルの定着を意味します!)

 

 これまで挙げた本とは、少し経路が違う本も紹介します。それは、『「居場所」のある学級・学校づくり』です。日本流に言うと、「学級経営」のジャンルに含まれますが、「居場所」という切り口を使うとアプローチがだいぶ違ったものになります(つまり、学級経営や特活アプローチに欠けているものを補える、ということです! それは、学級経営や特活と教科指導を分けないアプローチということになります)。

 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794812247 の目次を見るとお分かりのように、協同・協働学習が第7章で、また生徒を惹きつけ夢中で学べるようにする多様な教え方(それらの7~8割がたは、チームで取り組むものです)が第6章で、そして、SELとの強い関係が第5章で扱われています。残りの章も必ず役立つはずです!

 

★一方で、「単にペアやグループにして話し合わせるのが協同・協働学習」という捉え方が依然として主流を占めており、それに対して「グループ活動をしても、学びにつながらない」という課題を多くの教師が抱えているのも事実です。そこで、生徒一人ひとりが責任をもって学びに向かえる仕組みを、実践例とともに紹介すると共に、形だけのペアやグループ活動から脱却し、目的に応じた柔軟なグループ編成が学びを深める鍵となることを示している翻訳書に挑戦し始めていますので、ご期待ください。

2025年12月6日土曜日

簡単に不正ができない課題や活動や評価を生徒たちに提供するには

 SEL便り: 責任ある意思決定 の3回目です。

前回の最後で、「コピペや剽窃では達成できない課題や活動を提供することを提案しています」が、『成績だけが評価じゃない』の中ではその具体的な方法が紹介されていないので、それが提供されているいくつかの本を紹介しました。

今回までに、その具体的な提案が書いてある資料を見つけたので紹介します。

簡単に不正(カンニングやズル)ないしコピペや剽窃ができてしまう評価や試験を出し続けているのは、教師の側(あるいは、制度の側)と言えます。教育ないし学校という制度ができたときから、これらの問題は付きまとっていたというか・・・・ つまり、生徒の側の問題ではないのです!★

以下のような特徴を持つ試験や課題は不正を起こりがちとされます。

      単純な暗記問題中心答えを事前に入手すれば容易に高得点が取れる。

      監督が甘い試験や課題他人に解かせたり、検索で答えを探せる。

      選択肢が少なく予測可能推測やパターン認識で正答できてしまう。

 要するには、ペーパーテストや小論文は必然的に不正を招く評価法、ということ?!

 それに対して、「不正が困難な課題ないし評価」の特徴には以下のようなものが挙げられます。

A オープンエンド型の記述問題(思考過程や独自の解釈を問う)

B プロジェクト型課題(成果物やプロセスを評価する)

C 口頭試問や対話型評価(その場で応答する必要がある)★★

さらには、表現の媒体として、文字だけでなく、多様な表現媒体を可能にしたものからの選択が可能、というのも大事ではないかと思います。

 不正が容易にできてしまう(よって、頭に残るものも少ない)課題や評価をさせるのではなく、不正が困難で、かつ残るものも多い課題や評価に転換するには、以下のような特徴をもったものを考える必要があります。

1.   各自の独自性や創造性が発揮されるもの

2.   個人的なつながり

3.   取り組む目的・意図がもてる(明確)

ちなみに、この3つは、エッセイ・スピーチ・創作など、どんな表現でも「心に響く」ものにするための基本軸です。逆に言えば、これらがないものは、課題として響かない(残るものではない)ことを意味します。

 

●教師だけの評価から、4者の視点からの評価への移行

 そして、教師だけの評価ではなく、4者の視点からの評価への転換も同時に大切になります。それによって、教師だけに偏らず、多様な視点を取り入れることができるからです。

  • 自己評価 ― 学習者自身が振り返りを行い、メタ認知的に自分の学びを考えることで、学習への責任を自覚する。
  • 仲間による評価 ― ワークショップや「ギャラリーウォーク」(作品を展示して互いに見合う活動)を通じて、他者の視点から自分の成果を見てもらい、仲間の成果から学ぶ機会を得る。
  • 教師による評価 ― 教科の専門知識や学習基準に基づいた専門的なフィードバックを受けることができる。
  • 真の対象(オーディエンス)による評価 ― 作品を公開し、ウェブやSNSでコメントをもらったり、閲覧数や共有数などのデータを分析したりする。昔ながらの口コミやアンケート、会話での反応も有効。これらによって、学習者は自分の成果が社会にどのような影響を与えているかを理解できる(だけでなく、さらなる改善・修正の必要性も認識できる!)。

教師の一方的な評価でなく、4者の視点からの評価にすることで、学習者が自分の学びをより深く理解し、現実世界での意味や影響を実感できるようになります。

 さらに、従来の簡単に不正ができる評価から困難な評価への移行には、次の点への配慮も大切です。

・内容とスタイルを分けて評価する
事実・知識・正確さといった「内容」と、デザイン・技術的な質・表現力といった「スタイル」を別々に採点します。これにより、創造的なスキルがまだ発展途上でも、知識面での理解は正しく評価されますし、その逆も可能になります。~ https://projectbetterschool.blogspot.com/2023/02/blog-post_19.html の「三つのP」を参照。

・評価を価値観に合わせる
生徒に、研究者として成功したり、建設的なコミュニティーの一員として成長してほしいなら、その資質を伸ばすような評価項目を設定しましょう。例えば「独創性」「勇気」「社会的な影響力」といった観点を重視します。

・ポートフォリオを公開する
生徒に学習の成果物を集め、学期や年度を通して振り返りをさせます。公開可能なデジタルブックやEポートフォリオにまとめることで、学びの物語をより意味深く、より本物らしく伝えることができます。

 以上のような形で、カンニングやコピペや剽窃では達成できない課題や活動を提供することが可能となります。

 

★(教師も含めた)制度側の問題なのに、それを生徒に責任転嫁しているのです!

★★Aのオープンエンド型の記述問題は、まさにライティング・ワークショップとリーディング・ワークショップで日々やり続けていることです。Bのプロジェクト型課題(成果物やプロセスを評価する)の代表には、『プロジェクト学習とは』『PBL~学びの可能性をひらく授業づくり』『あなたの授業が子どもと世界を変える』『子どもの誇りに灯をともす』『たった一つを変えるだけ』などが参考になります。Cの口頭試問や対話型評価は、『一人ひとりを大切にする学校』の中心の一つに据えられているエキシビションという評価法です。

★★★ 「●教師だけの評価から、4者の視点からの評価への移行」以降で書かれていることのほとんどは、総括的評価のことではなく、形成的評価を重視した書き方になっています! 総括的評価は、成績をつけることが目的なのに対して、形成的評価は生徒の学びの質と量をさらに拡大すること(と、教師の教え方に修正改善をもたらすこと)が目的です。どちらがより価値があるかと言えば、後者です。前者の価値は、いったい何でしょうか?

 

出典: https://www.ascd.org/el/articles/tips-for-grading-authentic-assessments

2025年11月15日土曜日

道徳的・倫理的な選択

  生徒を含めて、私たちは常に道徳的・倫理的な選択に迫られています。だからこそ、道徳という教科が義務教育では設定されているのでしょうが、それが本当に機能しているとは思えないので、2週間ほどわき道にそれて、生成AIと道徳教育の現状と可能性についてのやり取りをしていました。https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/10/blog-post_26.html

 掲載はしませんでしたが、「文科省は網羅した徳目を『押さえる』とは公言していないが、制度設計上は『押さえざるを得ない』仕組みになっており、現場の教師は『押さえられるとは思っていない』が、『押さえるよう求められている』という矛盾の中で授業している」点を発展させて、①制度のなかで様々な道徳教育の理論や実践の立場にはいくつかの系統・流派があることや、②文科省と現場の間に存在する矛盾をめぐる代表的な論考があることをChatGPTには紹介してもらいました。 しかし、両方とも、道徳の狭い枠のなかで議論していて、SELのような「他の可能性」まで押し広げて見ているとは思えないので紹介はしませんでした。

 一方で、

・多くの教師が道徳教育に背を向ける理由は?

・つまり、教師たちは現状の道徳教育は「教育」ではないことを見抜いている、ということ。それに対して、文科省は「教育」とは何ぞやが理解できておらず、「洗脳」的なものでいいと考えている?

・道徳は(道徳も)日本のリーダーたちが望んでいる「従順、服従、忖度」の練習の場として捉えている!?

・ということは、文科省およびその御用研究者や実践者たちが、この辺のおかしさに気づけない限りは、「洗脳マシーン」ないし「従順・複縦・忖度マシーン」としての無駄な時間を費やし続けることを意味する!? 彼らは無駄な時間とは思っておらず、有益な時間と本当に信じている?

・頭のいい文科省の役人や専門家である研究者たちが、道徳教育が抱える矛盾というかおかしさに気づけないなどあり得ないと思うのですが、彼らも、単に自分の立場を演じているだけなのでしょうか?

・要するに、上(文科省の役人や政治家、研究者)に期待しても変わる余地はない!? したがって、現場の先生たちがあるべき姿を少しずつ実施するしかない! ということ?

などの投げかけもしましたが、それらの回答は紹介しませんでした。基本的に、生成AIはこちらの投げかけに応じた情報提供をしてくれる媒体であって、そこから宿命的に外れられませんから。あなたも、興味があったら、自分の関心に応じた問いかけ/投げかけをして、どんな反応や情報提供があるかを試してください。

 SEL便りと前回のPLC便りでは、それらのやり取りの一部を厳選して紹介したわけです。それは、SEL便り: 責任ある意思決定 の2回目のテーマである「道徳的・倫理的な選択」から生まれたものでした。前置きが長くなりましたが、『成績だけが評価じゃない』で扱われている「道徳的・倫理的な選択」の内容を紹介します。

  *****

 成績や学習がらみで起こる問題として、締め切りの直前になって、誰かが書いた本や論文、ウェブサイトなどから「コピペ(コピー&ペースト)」したり、友人が書いたものから「借りる」と言いつつ、そのまま写してしまったり、テストでカンニングをしたり★、提出期限のあるプロジェクトを課されるのが嫌で授業を休んだり、といった事例が紹介されています。著者のスター・サックシュタインさんは、生徒が判断を誤って問題を起こしたときには、

それに直接向きあって、その行為がどのような結果をもたらすのかについて生徒に理解してもらうというのがもっともよい方法です。0点を取ったり、再提出になったり、面倒なことに巻きこまれることになるでしょう。しかし、それで終わりにするのではなく、楽な方法を選ぶとなぜ自分や周りの人を傷つけることになるのかを、生徒は理解する必要があります。

まちがった判断をしてしまったときにショックを感じるという経験は、将来的には問題解決能力を高めることにつながります。生徒に、なぜそのような選択をしたのか、その選択はどのような影響をもたらすのか、まちがった選択を修正するための適切な判断をどのようにすればよいのかといったことについて振り返ってもらえば、再び同じようなミスを犯してしまう恐れは減らせます(154ページ)。

として、具体的な方法を提示してくれています。

 図4―1は、このような練習の手順について示したものです。



真ん中のボックス(この事例では、「友だちの書いたものを写した」)は、生徒が自分の判断でやってしまった行為を示しています。左側のボックスは、そうすることに決めた理由として考えられるものを生徒と一緒にブレインストーミングした結果を示しています。真ん中のボックスの右側にある白いボックスは、決定したことによる直接的な結果を示しています。そして一番右の網掛けのボックスは、同じような間違った決定を二度としないために、生徒ができることを示しています。こうすることで、生徒は自分の判断理由やそれがもたらす結果について理解できるようになります。

 ポイントは、担任や生徒指導カウンセラーが生徒のために判断して解決策や処罰を提示することではなく、今後より良い選択ができるようになるために、生徒と一緒にこのプロセスを踏む点です。

 なお、コピペや剽窃をしたくなる誘惑をできるだけ抑える、またはもたなくなる方法の一つとして、サックシュタインさんはコピペや剽窃では達成できない課題や活動を提供することを提案しています。しかし、それらの具体的なやり方については紹介していないので、『生徒指導をハックする』『教育のプロがすすめる選択する学び』『ほんものの学びに夢中になる』『ようこそ、一人ひとりを大切な教室へ』『一斉授業をハックする』『教科書をハックする』などを参考にしてください。

 

★この点については、テレビドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」 #6 秀才にカンニング疑惑!?で、主人公が生徒たちに語る部分が印象に残ります。

白鳥: カンニングの罪深さは、テストという存在自体の罪深さに内包される。勉強とは本来自分のため誰かのためになる。宇宙の一部でいるのに役立つ。そういうほわ~んと温かみのあるものですよね。テストは違う。その温かみとは、まったく関係なくただ優劣を測るためだけの鋭敏な物差しです。人間をあえて点数で比較し、1等星をありがたかったり6等星を無視したりする。ただ地球から遠いだけでどんなに輝いているかわからない星もあるのに。

学年主任: 何の話ですか。

白鳥: そんなもの差しで未来が決まるなんてぞっとします。その物差しだけを世間がそんなにありがたがるなら、カンニングをしたくなるほど、追い詰められる若者が生まれるのも仕方がない気がしませんか。世界には受験がない国もある。この国の価値観や教育のあり方が原因なのだとしたら、若者は被害者ですね。もしね、この国は相手に裁判でもできれば

学年主任: それでも日本の大多数の若者はカンニングをしません。みんな公正にテストを受け、より良い大学や職業を目指すんです。

 白鳥さんは、先生ではなくスクール・ロイヤーです。上で紹介したのは、その白鳥さんが生徒たちに語り掛けている場面です。学年主任は、それを聞いていて、生徒たちが白鳥さんの話を真に受けてもらっては困ると思い、必要最低限の学校の立場を表明している感じです。

 この場面は、私が「見る価値あるかも」と友人たちに紹介して、実際に見た人が「かなり刺さったので、録音して文字起こししました」と送ってくれたものでした。あなたは、ピンと来ましたか? 何に、ピンと来ましたか? 

2025年11月1日土曜日

感情に働きかける教え方の重要性

 「より良い学習成果を得たいのであれば、感情に働きかける教え方ができる教師をもっと育てる必要がある」というチェイス・ミルキーは、教育現場で長年の経験をもつ教師であり、インストラクショナル・コーチ★です。全米で高く評価されている講演者でもあり、ASCD(米国教育指導者協会)から出版された3冊の本の著者でもあります。

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長年教育に携わり、ポジティブ心理学を研究してきた者として、私は人間の行動に関する重要な理解にたどり着きました。それは、「感情は、論理(知的思考)よりもはるかに意思決定を左右する」です。これは特に、生徒たちに強く当てはまります。

教室で生徒が経験する感情は、学業成果に直接影響を与えます。たとえば、生徒が授業に出席するかどうか、時間通りに来るかどうか、教室に入るときの挨拶の仕方、導入活動への取り組み方、そして授業への参加意欲や助けを求める姿勢など、すべてに感情が関係しています。

つまり、より良い学業成果を求めるなら、より良い「感情的なインプット」が必要なのです。教師は、認知・知識・思考中心の教え方と同じくらい、研究に裏打ちされた「感情に働きかける教え方」を使いこなせる必要があります。

しかし残念ながら、現在の教員養成や研修のあり方は、学習の「感情面」に十分な備えを与えていないのが現状です。

 

従来の認知・知識・思考中心の教え方と、感情に満ちた教室とのギャップ

教師の養成や研修では、認知的な学習理論や分類法に、実に多くの時間とエネルギーが注がれています。私自身、教育実習や教員研修で、ブルームの思考の6段階(教育目標の分類)について何時間も学んだことを覚えています。授業の設計方法、評価問題の作り方、学習者をより高次の思考へと導くための目標の書き方などを学びました。こうしたスキルはもちろん重要でした。

けれども、教師になってから私が自分で考えなければならなかったのは、「どうすれば生徒が、私が丁寧に組み立てた授業に注意を向けてくれるのか」「どうすれば、精緻に設計した評価課題に本気で取り組んでくれるのか」といったことでした。

 教材の教え方はわかっていても、生徒の感情を読み取る方法がわからない——このギャップこそが、「感情に働きかける教え方」の出番です。

教師が感情面での専門性を高めるような研修を受けると、生徒の感情に「反応する」のではなく、「促す」ことができるようになります。たとえば、優れた教師が、生徒を「記憶」から「分析」へと導く問いや活動を知っているように、感情に働きかけることができる教師は、生徒を「無関心」から「好奇心」へ、「苛立ち」から「希望」へ、「圧倒された状態」から「落ち着き」へと導くための適切な働きかけができます。

では、どうすれば教師が「感情に働きかけられる存在」となり、「より効果的」な教育者になれるのでしょうか?
 その第一歩は、教室における感情の「なぜ」「何を」「どうやって」に焦点を当てた学びを構築することです。以下に挙げる三つの特性は、「感情に働きかける教え方」を実践する教師に共通して見られるものです。

 

感情に働きかける教師の三つの重要な特性

1. 感情の科学を理解している

感情に働きかける教師は、感情が「選ばれるもの」ではなく「構築されるもの」であることを理解しています。彼らは、感情が以下のような複雑な要素の相互作用によって生まれることを知っています。

  • 思考(認知):「これは自分にできそうか?」「自分の目標に関係しているか?」「過去に成功した経験があるか?」「次に何が起こるか気になるか?」
  • 身体の状態(生理):「今、自分の体に何が起きているか?」「心拍数は高いか低いか?」「空腹か、疲れているか?」
  • 環境(周囲の状況):「周囲の人を信頼できるか?」「この空間の刺激に圧倒されていないか?」

感情に働きかける教師は、生徒に「自分で感情をコントロールすること」を当然のように求めたり、うまくできないことを責めたりはしません。代わりに、音楽や照明、座席配置などを工夫して教室環境を調整したり、眠そうな高校生を活性化させるために「歩きながら復習する」などの活動を取り入れたりします。

彼らは常に問いかけます。「私の授業の選択は、生徒の感情状態にどんな影響を与えているだろうか?」

2. 感情に働きかける教師は、学びを支える感情の微妙な違いを理解している

感情に働きかける教師は、感情の扱い方において非常に繊細で的確です。たとえば、授業にちょっとした「驚きの要素」を加えることで、生徒の注意を一時的に引きつけることはできますが、「好奇心」を育てることで、より長く深く注意を持続させることができることを理解しています。

また、頭の中が情報でいっぱいになっている生徒には、「落ち着き」の感情を促すことで認知的な混乱を減らすことができます。一方で、「安心感」と組み合わせた適度な「プレシャー」は、学習者の成長を促す健全なストレスにつながることも知っています。

こうした教師は、「やる気がある/ない」「ポジティブ/ネガティブ」といった単純な感情の二項対立を超えて考えます。
 彼らが問いかけるのは、「この学習段階では、どの感情が最も効果的な成果につながるだろうか?」という、より精緻で実践的な問いなのです。

 

3. 感情に働きかける教師は、受け身ではなく、戦略的に先手を打つ

生徒にとって望ましい感情の状態を促すために、感情に働きかける教師は、幅広いスキルを「先回りして」活用します。
 彼らは、生徒が苛立ちから諦めてしまうのを待つのではなく、あらかじめ「感情に働きかける仕掛け(emotional influencers)」を計画します。

たとえば、過去の学習内容を使った復習ゲームを工夫して、生徒に自信をもたせたり、個別に声をかけて「誇り」や「所属感」を育んだりします。
 また、昼食後に興奮気味で教室に戻ってくる生徒の様子を予測し、その「楽しさ」を活かしてエネルギーの高い活動を行うか、あるいは落ち着いた雰囲気をつくってから集中力の必要な課題に入るかを、事前に判断・準備します。

彼らは、授業に「感情の設計」を組み込むことを、教育目標の分類(ブルームの思考の6段階)を活用するのと同じくらい慎重かつ意図的に行っているのです。

そして彼らは常に「生徒に望ましい感情を育むために、どんな方法が効果的だろうか?」と問いかけます。

 

効果的で、感情にも働きかける教育へ

私たちはこれまで、「体系的な枠組み」や「教育目標の分類(思考の6段階)」を使って学びを深める方法★★を教師に教えてきました。これからは、学びを支える「感情」——たとえば、落ち着き、希望、好奇心、喜び——を育む力についても、教師が学べるようにしなければなりません。

生徒の学びは、教師が「感情に満ちた教室という現実」を理解し、それを出発点として関わるときに、より深まります。もし私たちが「より効果的な教師」を育てたいのなら、まずは「感情に働きかける教え方のできる教師」を育てることから始めましょう。

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 以上はチェイス・ミルキーの論文の紹介でしたが、この内容とかなりオーバーラップする本があります。それは、ウェンディ・オストロフの『「おさるのジョージ」を教室で実現 ~ 好奇心を呼び起こせ!』(新評論)です。オストロフは、SEL(社会的・情動的学習)という言葉を前面には出していませんが、感情と学習の関係性に深く踏み込んでおり、特に「好奇心」の扱いは、感情に働きかける教育と強く重なります。

主なオーバーラップのポイントは、次の4点です。

1. 好奇心は感情的なエンジンである

  • オストロフ は好奇心を「学習の原動力」として位置づけ、内発的動機づけや感情的な関与の重要性を強調しています。
  • これは、感情に働きかける教師が「無関心から好奇心へ」と生徒を導く方法と一致します。

2. 安全で自由な環境が好奇心を育てる

  • 教室の心理的安全性、自由な探究、関係性の質が好奇心の土壌になると述べられており、これはSELの「安全な学習環境」や「関係性スキル」と重なります。

3. 驚き・問い・選択肢の設計

  • オストロフ は、驚き(surprisenovelty)や問いかけ、選択肢の提示によって好奇心を刺激する方法を紹介しています。これは、感情的な状態を意図的に設計する「感情に働きかける仕掛け(emotional influencers)」の考え方と非常に近いです。

4. 教師の役割は促進者

  • 教師は知識の伝達者ではなく、好奇心を育む「ファシリテーター」であるべきだという主張は、感情に働きかける教育の「反応ではなく促う」という姿勢と一致します。

以上のように、オストロフのアプローチは、好奇心・関心・探究心といった感情的要素を中心に据えた学習設計であり、SELの「自己認識」「自己管理」「関係性スキル」などの領域と自然に関連しています。つまり、SELという言葉は使わずにSEL的実践を展開しているとも言えるのです。

 ということで、上で書いたような教師の力量の必要性を感じたなら、https://selnewsletter.blogspot.com/2023/06/sel.htmlで紹介されている本や、https://projectbetterschool.blogspot.com/search?q=%E3%81%8A%E3%81%95%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8 を参考にしてください。


出典: https://ascd.org/el/articles/the-case-for-a-pedagogy-of-emotions

★インストラクショナル・コーチがどういうことをする人なのかは、近刊の『インストラクショナル・コーチング』(ジム・ナイト著、図書文化)をご覧ください。2000年ぐらいからアメリカを中心に教え方の改革の中心を担っています。逆に言うと、従来の「教員研修」では変えられない、ということが分かったことが理由です。なぜ、変わらないと思いますか?

★★日本では、教科書をカバーするための指導案アプローチ?