2025年11月15日土曜日

道徳的・倫理的な選択

  生徒を含めて、私たちは常に道徳的・倫理的な選択に迫られています。だからこそ、道徳という教科が義務教育では設定されているのでしょうが、それが本当に機能しているとは思えないので、2週間ほどわき道にそれて、生成AIと道徳教育の現状と可能性についてのやり取りをしていました。https://projectbetterschool.blogspot.com/2025/10/blog-post_26.html

 掲載はしませんでしたが、「文科省は網羅した徳目を『押さえる』とは公言していないが、制度設計上は『押さえざるを得ない』仕組みになっており、現場の教師は『押さえられるとは思っていない』が、『押さえるよう求められている』という矛盾の中で授業している」点を発展させて、①制度のなかで様々な道徳教育の理論や実践の立場にはいくつかの系統・流派があることや、②文科省と現場の間に存在する矛盾をめぐる代表的な論考があることをChatGPTには紹介してもらいました。 しかし、両方とも、道徳の狭い枠のなかで議論していて、SELのような「他の可能性」まで押し広げて見ているとは思えないので紹介はしませんでした。

 一方で、

・多くの教師が道徳教育に背を向ける理由は?

・つまり、教師たちは現状の道徳教育は「教育」ではないことを見抜いている、ということ。それに対して、文科省は「教育」とは何ぞやが理解できておらず、「洗脳」的なものでいいと考えている?

・道徳は(道徳も)日本のリーダーたちが望んでいる「従順、服従、忖度」の練習の場として捉えている!?

・ということは、文科省およびその御用研究者や実践者たちが、この辺のおかしさに気づけない限りは、「洗脳マシーン」ないし「従順・複縦・忖度マシーン」としての無駄な時間を費やし続けることを意味する!? 彼らは無駄な時間とは思っておらず、有益な時間と本当に信じている?

・頭のいい文科省の役人や専門家である研究者たちが、道徳教育が抱える矛盾というかおかしさに気づけないなどあり得ないと思うのですが、彼らも、単に自分の立場を演じているだけなのでしょうか?

・要するに、上(文科省の役人や政治家、研究者)に期待しても変わる余地はない!? したがって、現場の先生たちがあるべき姿を少しずつ実施するしかない! ということ?

などの投げかけもしましたが、それらの回答は紹介しませんでした。基本的に、生成AIはこちらの投げかけに応じた情報提供をしてくれる媒体であって、そこから宿命的に外れられませんから。あなたも、興味があったら、自分の関心に応じた問いかけ/投げかけをして、どんな反応や情報提供があるかを試してください。

 SEL便りと前回のPLC便りでは、それらのやり取りの一部を厳選して紹介したわけです。それは、SEL便り: 責任ある意思決定 の2回目のテーマである「道徳的・倫理的な選択」から生まれたものでした。前置きが長くなりましたが、『成績だけが評価じゃない』で扱われている「道徳的・倫理的な選択」の内容を紹介します。

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 成績や学習がらみで起こる問題として、締め切りの直前になって、誰かが書いた本や論文、ウェブサイトなどから「コピペ(コピー&ペースト)」したり、友人が書いたものから「借りる」と言いつつ、そのまま写してしまったり、テストでカンニングをしたり★、提出期限のあるプロジェクトを課されるのが嫌で授業を休んだり、といった事例が紹介されています。著者のスター・サックシュタインさんは、生徒が判断を誤って問題を起こしたときには、

それに直接向きあって、その行為がどのような結果をもたらすのかについて生徒に理解してもらうというのがもっともよい方法です。0点を取ったり、再提出になったり、面倒なことに巻きこまれることになるでしょう。しかし、それで終わりにするのではなく、楽な方法を選ぶとなぜ自分や周りの人を傷つけることになるのかを、生徒は理解する必要があります。

まちがった判断をしてしまったときにショックを感じるという経験は、将来的には問題解決能力を高めることにつながります。生徒に、なぜそのような選択をしたのか、その選択はどのような影響をもたらすのか、まちがった選択を修正するための適切な判断をどのようにすればよいのかといったことについて振り返ってもらえば、再び同じようなミスを犯してしまう恐れは減らせます(154ページ)。

として、具体的な方法を提示してくれています。

 図4―1は、このような練習の手順について示したものです。



真ん中のボックス(この事例では、「友だちの書いたものを写した」)は、生徒が自分の判断でやってしまった行為を示しています。左側のボックスは、そうすることに決めた理由として考えられるものを生徒と一緒にブレインストーミングした結果を示しています。真ん中のボックスの右側にある白いボックスは、決定したことによる直接的な結果を示しています。そして一番右の網掛けのボックスは、同じような間違った決定を二度としないために、生徒ができることを示しています。こうすることで、生徒は自分の判断理由やそれがもたらす結果について理解できるようになります。

 ポイントは、担任や生徒指導カウンセラーが生徒のために判断して解決策や処罰を提示することではなく、今後より良い選択ができるようになるために、生徒と一緒にこのプロセスを踏む点です。

 なお、コピペや剽窃をしたくなる誘惑をできるだけ抑える、またはもたなくなる方法の一つとして、サックシュタインさんはコピペや剽窃では達成できない課題や活動を提供することを提案しています。しかし、それらの具体的なやり方については紹介していないので、『生徒指導をハックする』『教育のプロがすすめる選択する学び』『ほんものの学びに夢中になる』『ようこそ、一人ひとりを大切な教室へ』『一斉授業をハックする』『教科書をハックする』などを参考にしてください。

 

★この点については、テレビドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」 #6 秀才にカンニング疑惑!?で、主人公が生徒たちに語る部分が印象に残ります。

白鳥: カンニングの罪深さは、テストという存在自体の罪深さに内包される。勉強とは本来自分のため誰かのためになる。宇宙の一部でいるのに役立つ。そういうほわ~んと温かみのあるものですよね。テストは違う。その温かみとは、まったく関係なくただ優劣を測るためだけの鋭敏な物差しです。人間をあえて点数で比較し、1等星をありがたかったり6等星を無視したりする。ただ地球から遠いだけでどんなに輝いているかわからない星もあるのに。

学年主任: 何の話ですか。

白鳥: そんなもの差しで未来が決まるなんてぞっとします。その物差しだけを世間がそんなにありがたがるなら、カンニングをしたくなるほど、追い詰められる若者が生まれるのも仕方がない気がしませんか。世界には受験がない国もある。この国の価値観や教育のあり方が原因なのだとしたら、若者は被害者ですね。もしね、この国は相手に裁判でもできれば

学年主任: それでも日本の大多数の若者はカンニングをしません。みんな公正にテストを受け、より良い大学や職業を目指すんです。

 白鳥さんは、先生ではなくスクール・ロイヤーです。上で紹介したのは、その白鳥さんが生徒たちに語り掛けている場面です。学年主任は、それを聞いていて、生徒たちが白鳥さんの話を真に受けてもらっては困ると思い、必要最低限の学校の立場を表明している感じです。

 この場面は、私が「見る価値あるかも」と友人たちに紹介して、実際に見た人が「かなり刺さったので、録音して文字起こししました」と送ってくれたものでした。あなたは、ピンと来ましたか? 何に、ピンと来ましたか? 

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