https://selnewsletter.blogspot.com/2024/11/blog-post.html から始まった連載の最終回です。生徒が自己認識をもてた際の行きつく先の一つが、これだと著者のサックシュタインさんは位置づけています。
最終的には、生徒自身が必要とする支援の主張ができるようになってから学校を卒業してほしいと思っています。この目標を達成するためには、まずは自分ができることと助けを必要とすることが何なのかについて、見極められるように教える(練習する)必要があります。また、生徒との関係性を高めれば彼らの決断を支えられますし、彼らがより質の高い質問をすれば、自分が本当に必要としている手助けが得られるでしょう。
評価とは、生徒が知っている事柄とできることを理解し、その情報を使って、生徒が成長を続けるためにカリキュラムの調節を行ったり、より的を絞った学習経験をつくりあげることです。的確にセルフ・アドヴォカシーができるようになれば、生徒自身が必要とするものを深く理解しますし、学習者としての自信がもてるような協力関係を教師との間で築けるようになります。(『成績だけが評価じゃない』の98~99ページ)
日本の教育界は「自立」ではなく、「自律」を重視する傾向が顕著にありますが、そのなかに「生徒自身が必要とする支援の主張ができるようになる」は含まれているでしょうか?
また、日本において「評価」をこのように理解している教師はどれくらいいるでしょうか? 評価とは何か、何のために評価するのかということを根本から問い直し、学習や支援にリンクさせる必要があるのではないでしょうか?★★
そして、次のようにも書いています。
すべての生徒が、注視してもらったり、必要なときに支援が受けられる権利をもっています。時間を公平に使うという考え方のなかには、生徒に必要なものを提供したり、彼らが過ごしている場所で彼らに会ったりすることも含まれるべきです。
(現状では)あまりにも多くの生徒が、特別な支援を受けようとしなかったり、セルフ・アドヴォカシーの方法を知りません。どのような理由であれ、「助けてもらうことは悪だ」と感じさせたり、対話のなかにおいて提供されるべき情報に触れていなかったり、彼らを尊重しない方法で強制するといったことがない環境整備が重要となります。必要とすることをはっきり表現できるような環境をつくれば、生徒はエンパワーされ(人間のもつ本来の能力を最大限にまで引き出され)、何事に対してもうまくできるようになる機会が得られます。(同上、100~101ページ)
学校での学びと評価を、早く以上のことが実現するように転換する必要があります。
これまでの7回の連載(=本の第2章)のまとめとして、サックシュタインさんは次のように書いています。
人間としての、また学習者としての自分自身を知ることになる「自己認識」は、成長するにおいて欠かせない要素です。自分のことをよく知れば知るほど適切な判断ができるようになり、人生の方向性を決めるような困難な経験に対してもポジティブになれます。
生徒に自己認識のツールを提供し、彼らが言うことに耳を傾ければ、学習空間における公平性が高まります。生徒の学習経験はそれぞれ異なっていますので、私たちは授業やそのほかの時間を使って、少しずつ違ったものを提供する必要があります。
生徒が学習についてどのように感じているのか、どこで苦労しているのかを共有したり、彼らが必要とする支援の主張機会が多ければ多いほど、さらに上手な主張ができるようになるでしょう。自己認識を高められれば、今後の学習に対する取り組み方だけでなく、自己効力感を高めてくれることにもつながるのです。(同上、103ページ)
下線を引いた部分は、すべてSELとの関係で捉えることができるのですが(しかも、日々の授業や生活のなかで)、あなたはそれらのどのくらいをすでに意識したり、実践したりしていますか? 一番長い下線の部分は、『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』と関係しています。
★原書では「self-advocate」となっています。主に障害者支援や特別支援教育の分野で知られている言葉で、自らの特性を認識したうえで、必要とする支援を求めて主張できるように指導する場面において使われています。教育以外の分野では、ハンディーを抱える人が自分のニーズを主張できるようにすることを意味します。
★★その際の大切な基準は、「それが生徒(と教師)の学びを促進するのに貢献しているか」ではないでしょうか? もし、それに貢献していないもの(通知表や指導要録など)は葬り去るべき筆頭にあがることでしょう。
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