以下のようなSELのプログラムに関する問い合わせを、新潟の公立中学校(理科担当)で教えている齊藤先生(仮名)からいただきました。
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SELについて、ここ最近多くの書籍を読み、学んでおります。
きっかけは、自分の目の前の生徒が感情をコントロールすることが苦手で、荒れている状態を目の当たりにしたことです。そのときは、どうして、自分の感情をコントロールできないのか、自己制御するにはどうしたらいいのか、といったことを考えていました。そんなとき、SELというものがあることを知りました。
本を読み進めていく内に、たくさんの疑問が出てきたので、こうしてご連絡を差し上げた次第です。大変ご多用のところ恐縮ではありますが、SELについて教えていただければ幸いです。
1.SELを年間通しての授業を行う場合、どのようなプログラムを導入するのがいいのか。2.SELとして中学生に行うのに、最初に教えるプログラム(授業)は何か。
3.SELプログラムの多くがSSTのように感じてしまうが、それをやったことで果たしてSELで付けたい力がつくのか。
4.SELはものすごく大きなまとまりであり、近年話題になったグリットやレジリエンス、アンガー・コントロールなど、そのような指導も含めてSELなのか。
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齊藤先生の質問に対する回答は、次の通りでした。
0.
(最初にいただいた齊藤先生からのメールの質問である)SELとは何か。
https://selnewsletter.blogspot.com/2023/06/sel.html がかなり網羅していると思います。
1.SELを年間通しての授業を行う場合、どのようなプログラムを導入するのがいいのか。
齊藤先生は、「このプログラムがおすすめです」という答えを期待しての質問かと思いますが、残念ながら、どの学校にもベストなプログラムは存在しません★。
それもあって、『感情と社会性を育む学び(SEL)』の最終章のタイトルは、「プログラムではなく、人がSELに好影響を及ぼす」になっていますし、いま読まれている『学びは、すべてSEL』の最終章も、注意深くプログラムの選定をする作業を、その具体的な方法を示す形で紹介しています。そのようなステップを踏まない安易なプログラムの選定は、教師たちに「自分たちはSELを実践している」という安心感は提供できても、効果はほとんど得られないでしょう(生徒たちが、SELのスキルを身につけることはできないでしょう)。
それは、いま日本で行われている道徳の授業と同じレベルと言えます。ほとんど誰も、意味を感じられない状態が続いていませんか?★★
そのことが、私が1998年頃にSELの存在は知って、紹介する価値を切実に感じましたが、動けなかった理由です。私には唯一のプログラムを紹介することも、また開発することもできませんから★★★。そんななかで、20年以上待って、見つけたのが、
・『感情と社会性を育む学び(SEL)』
・『まなびは、すべてSEL』
・『成績だけが評価じゃない』 ~ これは、評価とSELの関係との本
・『SELを成功に導くための五つの要素』
・『「居場所」のある学級・学校づくり』 ~ これは、学級経営とSELとの関係の本(なかでも、一番のポイントは第6章「生徒を惹きつける、生徒主体の授業が居場所の原動力」)。「居場所」をSELに置き換えられます。逆にいえば、授業での指導法に大きな問題があることが、SELのニーズを生み出しているからです。授業の改善を図らない限りは、尻拭い(生徒指導やSEL)をやり続ける必要があることを意味します!
・『生徒指導をハックする』 ~ これは、生徒指導とSELとの関係の本
・https://projectbetterschool.blogspot.com/2020/06/blog-post_21.htmlで紹介されている本も全部!(特に、『オープニングマインド』と明石書店に版権を取られてしまった2冊は、成長マインドセット関連の本です。もし、読んでみたければ、PDFファイルをお送りします。読んで感想を書く義務が生じますが。成長マインドセットではなく、固定マインドセットが日本の教育や教室に充満していることが、生徒指導やSELの必要性をつくり出しています。
・『一人ひとりを大切にする学校』 ~ SELを実践しているとは一言も著者は言っていませんが、理想的な形でそれが行われていることが分かる本。
・『国語の未来は「本づくり」』 ~ SELと国語指導を融合した実践例として書かれた本。https://selnewsletter.blogspot.com/2023/10/eq.html から分かるように、EQやSELと強調しなくても、ライティング・ワークショップ(作家の時間)やリーディング・プロジェクト(読書家の時間)を実践すると自然とそれらのスキルや資質が身につきます。もちろん、この理科版、社会科版、数学版等が考えられます。
・『だれもが科学者になれる!』 ~ 上記の理科版。
などでした。
特に、『SELを成功に導くための五つの要素』は、SELに関する教員研修のやり方を紹介している本と言えますし、クラスや学校レベルで、どのようなステップで進めたらいいのかも親切に書かれた本です。
★ 同じことは、実は教科書というプログラムにも言えるのですが、誰もそれを口に出そうとはしません。一つの教科書が、誰にも等しく意味がある/価値があるなんてことは、あり得ません!
★★ 道徳を例に挙げて説明しましたが、状況は他の教科も同じです。教師は、教科書をカバーしていれば、意義のあることをしているという錯覚をもてますが、果たして生徒たちはどれだけ学べているでしょうか? 先生たちの口癖として「教えたのに、覚えてないの?」があります。覚えていないのは、真の意味では教えていないからです。残らないのは、必然性を生徒たちが感じていないからです。そうした状況に加えて、今度はSELを加えていいのでしょうか? 要するに、教科指導のあり方自体を根本的に見直す必要性に迫られている、ということです! これについては、『学びの中心はやっぱり生徒が!』が参考になります。
★★★SEL関連の調査および普及機関である「CASEL: Collaborative for Academic, Social and Emotional Learning」やハーバード大学にベースを置く「EASEL: The Ecological Approaches to Social Emotional Learning」が出しているレポートでは、40~50のプログラムが比較紹介されています。さらに、それ以外のプログラムが数百もあると言われています。
2.SELとして中学生に行うのに、最初に教えるプログラム(授業)は何か。
上と関連しますが、中学生と一言でいっても、いろいろな中学生がいます。(教師の視点で)問題を抱えた中学生、なんの問題も抱えていない中学生、そしてその間の多様な中学生。
言わんとしていることは、安易に、誰かが推薦するプログラムや活動に飛びつかないことです。何よりも、教室(と学校)の実態把握から始めないと、どのプログラム/活動を最初にすればいいかなんて、分かるはずがありません。(それが、教科書が機能しない理由です!生徒たちのことをまったく知らない人たちが、「これをすればいいのです」と言い切っているのですから。言われた側は、そういってくれると楽ですし、ありがたがるかもしれませんが、生徒たちの学びは最低限が続くことが約束されています。生徒たちには、それらをする必然性がありませんから。)
だからと言って、何もできないか、というと、そんなことはありません。対象とする生徒たちのニーズと、教師が必要性を感じていること(生徒に身につけてほしいスキルや態度等)を熟考して、それらを満たす活動を選んだり、考えたりすることはできます。
この返信のなかで紹介した本や資料のなかから、齊藤先生+2~3人の他の先生が、「これはやりたいよね」というのを個別にリストアップして、それをすり合わせる形で、選択すれば、結構いい活動が選ばれ、そしてプログラムになる可能性大です。大切なのは、プロセスです(誰かが選んだ結果ではなく!)。
3.SELプログラムの多くがSSTのように感じてしまうが、それをやったことで果たしてSELで付けたい力がつくのか。
私自身は、SSTには興味をもったことがないので、2つの比較と言われても答えられません。ネットで検索したところ、SSTは、
1.人間関係で適切なコミュニケーションが取れるようになる
2.自身の感情をコントロールできるようになる
3.相手の気持ちを考えた行動ができるようになる
の3つを目的にしたプログラムということで、齊藤先生も理解していますか?
この3つの項目と、CASELの5本の柱を比較すると、一見、3つの領域でオーバーラップしているように目えますが、いま齊藤先生が読まれている『学びは、すべてSEL』のなかで捉えられているSELの項目(http://wwletter.blogspot.com/2023/02/sel.htmlの図) と詳しく比較すると、第2章、4,6章は丸ごと抜け落ちていますし、第3章と第5章も、ほんの一部で接点があるだけなのが分かります。
これで、齊藤先生が質問3で書いているように言えるでしょうか?
上記のURLの冒頭のライティングとリーディング・ワークショップ(WW/RW)の実践者が書いた文章を読んでみてください。この実践者は、SELを実践しているという意識は薄いか、ないと思います。しかし、この本で紹介されている第2~6章のかなりの部分を押さえてしまう実践をしているのです。この方が、齊藤先生が質問の1と2で質問しているSELのプログラム(SELに特化したプログラム)をするよりも、はるかに効果的です。その理由は分かりますか? 質問の1や2でするプログラムや活動は、道徳の授業みたいなものです。一過性のイベントという意味で。それに対して、上記のURLで紹介されているような実践を目ざさない限りは、定着しないというか、身につかないというか、本物ものにならないというか・・・・時間をかける意味がないというか、です。
なお、SSTもSELも言われるはるか前の1990年代の初頭に出た本が、http://www.eric-next.org/reflect_read.html#textsでリストアップされていますが、特に『いっしょに学ぼう』『いっしょにできるよ』『わたし、あなた、そしてみんな』は、おすすめです。最初の2つはSSTの内容そのものですし、『わたし、あなた、そしてみんな』はSELの内容と言えます。(前者2冊は小学校中学年ぐらいまでを念頭に開発され、後者は高校生を対象に開発されたものですが、教員研修でも使っていたので、対象に限らず使える内容です。)
4.SELはものすごく大きなまとまりであり、近年話題になったグリットやレジリエンス、アンガー・コントロールなど、そのような指導も含めてSELなのか。
はい。上記で紹介した図http://wwletter.blogspot.com/2023/02/sel.htmlから分かるように、グリット(やる抜く力)やレジリエンスは第2章に、アンガー・コントロール/ストレス・マネジメントなどは、第3章に含まれています。
『成績だけが評価じゃない』では、https://bit.ly/3XZmfbhもSELと捉えていますから、さらに大きな枠組みになります。しかし、「思考の習慣」は、https://projectbetterschool.blogspot.com/2022/11/blog-post_20.htmlにあるように「まともな教師を含めた社会人」として生きていくうえで必要な資質やスキルばかりだと思われませんか? 現時点で、それらの資質やスキルは、どこで身につけられているでしょうか? 学校や大学でやらなくて、身につける努力をせずに、いったいどこで身につけられるのでしょうか?