「わからないことがあったら質問してください」と言うのは簡単ですが、実際に教室でわからないことがあっても、ほかのクラスメイトの前で質問をする子どもはそう多くはないでしょう。そして、それは、その「わからないこと」が根本的なものであるほど、質問できないかもしれません。
必要な助けを求めらなかったり、わからないことを聞くことができなかったりするのは、決してその人のやる気がないからではありません。自分自身の意識と周囲との関係性が障壁となっているのです。学校という小さな社会で、子どもの生活のなかでのピア・プレッシャーは、とても大きなものです。学校では、「すでに知っていること」「のみこみが早くすぐに理解できること」「努力なしでうまくいくこと」がよしと経験からインプットされてしまっています。何かがわからない、できないと表明することは、自分の弱さをさらし、周囲に、そして自分自身に負けたような気持ちになってしまうのです。
しかし、社会で、だれにも頼らずに成功することはできません。第一線のアスリートにはコーチがいますし、作家には編集者がいます。メンター(相談できるよき指導者)や協力してくれる人がいてこそ、成功の道が開けていきます。教室での学びでも同様のものです。必要な助けを求めることが、他者に依存する行いではなく、自分が成長し、ものごとを達成するために必要な行いであること、さらには、必要な助けを求めることが学業の達成度と関係があることが研究で指摘されています。
教室内で自分のニーズを表明し、助け合うことを実践するにはどうしたらよいでしょうか。教室内で、だれも人に頼る姿が見られなければ、子どもたちは、それは求められる行動ではないと受け止めます。助けを求めること、求めに応えることが期待される行動であることーつまりは、教室の規範とすることが大切です。
ある高校の国語教師は、わからないことをポストイットに書いて共有し、だれでも回答したり、考えを述べたりできるスペースを教室に作りました。初めは生徒たちは戸惑っていましたが、一人の生徒が利用し始めると、ほかの生徒もそれに続きました。クラスメイトが理解できないことを表明し、それに回答を得ることによって、助けを求めることが他者と共有できる経験となります。そして、学びが一人きりのものではなくなり、質問をしわからないことを表明し、他者と協力しあうことが学びのプロセスの一部となります。また、教えることは、教えている者にとっても自分の理解と知識をふり返り言葉にすることで、学びを深めることができます。
また、子どもたちとの日々のコミュニケーションを通じて、必要な助けを求めることは自分の弱さを表明するものではないこと、学びや成長のために大切なことであると伝えることが有益です。実際に、努力することでうまくできるようになることを信じている成長マインドセットをもつ人のほうがより助けを求める傾向があるとされます。子どもたちが成長マインドセットをもてるように、日々の生活で伝え、そして、必要な助けを求めてきたときや理解できないことを質問してきたときには、教師やクラスメイトにきちんと受け止められることが、手が差し伸べられる経験が必要です。
先の国語の教師は、授業の終わりに、生徒の一人ひとりによく理解できなかったことを書いてもらうようにしました。そしてその目的は教師がよりよく教えることができるようになるためで、次の授業を組み立てることに役立つと伝えました。生徒の意見により、自分が理解できないことを表明することによって、教え方が改善でき、次の授業や今後教わる生徒の助けとなることを経験することによって、自分以外の人にも有益なことだという認識が芽生えます。
日々のコミュニケーションで教師が助けを求めることの大切さを伝えていくとともに、上級生に自身が葛藤したこと、助けを求めて周囲の協力があって成功していったという経験を話してもらうことや、一人ひとりのわからないことを集めて共有したり、他者に助けてもらいうまくいった記録をつけることもよいでしょう。
助けを求める行動を教室内で可視化し、助けを求めることができることを弱さではなく強さだと考えることにより、教室のあるべき姿が変わっていきます。理解できないことや課題があるときには、静かに葛藤し一人きりで乗り越えなければいけないことではなく、周囲に助けを求めることで、より学びが促されること、助けを求めることが成功のために必要なことを認識できるようになります。そして、自分が助けを求めることができるようになったらどうなるでしょうか。周囲の人は、他者のニーズを理解できるようになり、また、助けられ人は、今度は、他者が助けを求めてきたら助けるようになります。そうして、共感し合い、協力し合う教室へと変わっていくことができるでしょう。
このように、必要な助けを求め、それに応える教室での環境と経験は、社会でのアドボカシースキルを育むことにつながります。アメリカでは、「アドボカシー」はとてもよく聞かれる言葉で、あるコミュニティやマイノリティの人々の権利やニーズを発信し、必要なサポートを受けられるようにすることです。日本では、福祉分野で使われることが多く、あまりなじみのない言葉かもしれません。しかし、アドボカシーが必要なのは、一定の人々ばかりではありません。自分が主体的に自身の権利を守り、よりよい環境で生きていくためには、Self advocacy(セルフ・アドボカシー)が必要です。Self advocacy とは「自己権利の擁護」と訳され、自分で自分自身の権利や利益、ニーズを適切に主張することを意味します。つまりは、自分の立場を表明し、必要なサポートを求めることです。
他者のニーズを理解し、共感して、手を差し伸べることは、自分のニーズを把握し、助けを求めて、助けられた経験がなくては、できないものです。まずは、子どもたちが自分のニーズを表明し届ける場があること、受け入れられることをどんどん経験していくこと、そして、助けを求めることが自身の弱みではなく、成長していく機会だと捉えられるようになることが大切です。
参照
https://www.edutopia.org/article/getting-students-ask-help
Fong, C. J., Gonzales, C., Hill-Troglin Cox, C., & Shinn, H. B. (2023). Academic help-seeking and achievement of postsecondary students: A meta-analytic investigation. Journal of Educational Psychology, 115(1), 1.
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