私たちの毎日の生活は、意思決定の連続です。1時間の授業ですら、教師は何十回、何百回の意思決定で構成されています。しかし、それは事実であるにもかかわらず、問題は生活も、授業も意思決定(しかも、「責任ある」意思決定)の連続と捉えていないところにあるかもしれません。意思決定の前段として、常に選択肢があることも理解しておく必要があります。
CASELは、「責任ある意思決定」について次のように定義しています。
さまざまな状況において、個人の行動や対人関係について思いやりのある前向きな選択をする能力のことです。これには、倫理的な基準や安心安全に関心をもち、個人や社会、集団の幸せのために、さまざまな行動の利点とその結果を評価する能力も含まれます。
『成績だけが評価じゃない』の著者のスター・サックシュタインさんは、その第4章「責任ある意思決定を教えて、学びに対する生徒のオウナーシップを高める」の冒頭で次のように書いています。
責任ある意思決定を教えることは、学びに対する生徒のオウナーシップ(自分事という意識)を高め、自分たちが教えられることやその方法について、生徒にエイジェンシー(自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく姿勢・意欲)を与える一つの方法となります。(『成績だけが評価じゃない』の151ページ)
責任のある意思決定と生徒が学ぶことを自分事として捉えることとの関係について、あなたはこれまでに考えたことがありますか?
でも、サックシュタインさんはさらに、責任のある意思決定は、生徒が自分たちが教えられる内容や方法についてまで、自分たちが変えられる形で関与できると言っています。それは、具体的にどういうことだと思いますか?
多くの生徒は、自らが決めたことがどのような結果をもたらすかについてあまり考えていません。考えの至らなさは成長期においてよく見られることですが、学校において起こる問題や課題の原因となってしまいます。だからこそ、それが良いことだろうと悪いことだろうと、生徒が自らの選択結果について認識できるようにする必要があります。(同、151ページ)
これは、まさにその通りです。いじめをはじめ生徒指導がらみの問題の原因は、生徒自らの選択の結果として起きていることは明らかです。そうであるなら、そのことについて認識できたなら、問題は減るでしょうか?
サックシュタインさんは、具体的な事例を紹介してくれています。
形成的評価と総括的評価の観点から冒頭のCASELの「責任ある意思決定」の定義について考えれば、このスキルを授業に盛りこむ必要性がより理解できるでしょう。たとえば、ある生徒が授業をサボって形成的評価を受けるという大切な機会を逃してしまったら、その学年で期待されるレベルよりも遅れてしまい、その後、追いつくのにこの生徒は苦労することになります。また、グループで行うプロジェクトのなかで、自分に与えられた役割に関する探究を進めず、放課後に何時間もゲームをしている生徒がいたらグループ全体の成績が下がり、メンバーの関係が悪くなるかもしれません。(同、152ページ)
そして、「責任ある意思決定のスキルを授業に取り入れるだけではなく、形成的な学習経験を通じて、生徒自身が学びをコントロールしたり、責任をもって判断するためのスキルが練習できる機会を与えなければなりません」(同、152ページ)と提言しています。「形成的な学習経験」はformative learning experiencesを直訳していますが、イメージはつきますか? 「生徒の学びのあり方を形づける経験」ないし「成長の基盤となる学びの経験」です。それには、「生徒自身が学びをコントロールしたり、責任をもって判断するためのスキルが練習できる機会」が不可欠なのですが、あなたはそれらを提供していますか? 具体的にどうしたらいいのでしょうか? イメージのもてない方は、『教育のプロがすすめる選択する学び』『ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ』『一斉授業をハックする』などを参考にしてください。
意思決定の能力は生まれつき備わっているものだと思われがちですが、そんなことはありません。モデルとなるもの(それが明示されている、いないにかかわらず)から学ぶにせよ、自分自身の経験から学ぶにせよ、意図的に意思決定を行うことで私たちは、自分の人生をより上手にコントロールできるようになるのです。(同、152ページ)
より良い意思決定によって生徒のエイジェンシーが高まるといった環境であれば、生徒は必要としているものを示せますし(自分の必要とするものを主張する力であるセルフ・アドヴォカシーです。SEL便り: セルフ・アドボカシーの検索結果 と SEL便り: セルフ・アドヴォカシーの検索結果の両方を参照)、それによってどのように学ぶのか、どのように評価されるのかについて、自らコントロールするようになります。(同、153ページ)
上に書かれている「意思決定の能力」や「自分の人生をより上手にコントロールできる」能力は、教育界の多くの人が生徒たちの「自律」に殊の外注目している理由でしょうか? でも、それを可能にする「意図的な意思決定」や(どのように学ぶのか、どのように評価されるのかについて、自らコントロールするという意味での)「形成的な学習経験」の機会を提供する方法は明らかでしょうか?
そして、サックシュタインさんは、次の文章で第4章の冒頭の部分を結んでいます。
より適切な決定をしたり、それによって自分や周りの人たちに対して、マイナスではなくプラスの影響を与えられるような機会が毎日どれくらいあるかについて考えてみましょう。この章(この後の連載)では、生徒がより良い決定ができるように手助けをすると同時に、その決定や決定の結果として、学びへの影響について振り返るための十分な機会を提供する方法に関して探っていきます。(同、153ページ)
具体的には、①道徳的・倫理的な選択、②協働することの役割、③時間管理の決定などが扱われている他に、④順位づけや能力別クラス編成、カリキュラム、生徒の感情的・社会的なウェル・ビーイングなどの学校レベルでの責任ある意思決定が紹介されています。最後は、学校の大人たちが意思決定のモデルを生徒たちに示し続けるうえでとても大切な項目です。なので、しばらく先のことになるので、本に書かれている以外にどのような項目があり得るかを考え続けたいと思います。
なお、これまで『成績だけが評価じゃない』を扱いながら、CASEL(https://selnewsletter.blogspot.com/2023/03/)が打ち出している5本の柱のうちの自己認識(SEL便り: 自己認識の連載)と自己管理(SEL便り: 自己管理の連載)について詳しく紹介してきました。3番目の連載として今回扱うのは、責任ある意思決定です。社会認識と対人関係スキルについても、今後紹介していく予定です。
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